とこちゃんの田舎料理

私はナベを焦がす名人ではあっても、料理など本当にレパートリーが少ない。デジカメを買って何でも写してメル友に送っていたら、花や風景のホームページはあっても、自分の食卓を写したのって少ないのじゃない?面白いからやってみたら、とけしかけられて始めてみた。

これがそもそもの発端の料理である。菜園を作っているので、夏はイヤと言うほど野菜が採れる。特にキュウリとナスは毎日採りに行かないと大きくなりすぎてしまう。

菜園を借りているので、今まで家の庭で作っていたところにはカボチャを植えてある。食卓中央の煮物はそのカボチャとナスの煮付け。右はキュウリとナスの漬物。左にちょっと見えるのは枝豆。手前は鳥の笹身とキュウリなどのピリカラサラダ。ササミの他はみんな自家製の野菜である。

夏にはこんな物が、とっかえひっかえ出てくる(自分で出しちゃうのだが)
夏からいきなり冬の料理である。冬は暖かいものがご馳走。昔から上州名物は「お切り込み」。元総理福田赳夫さんは好きな郷土料理の筆頭に挙げていた。今は亡きあの方は「おっきりこみ」と言って居られたが。

私の「お切り込み」は手打ちでする。無論うどん打ちの道具など揃えてはいないので、ちょっと幅広のまな板で代用する。うどんだって年寄りの二人暮し、両手の中にすっぽり収まる程度の粉をこねて、ビニールの袋に入れてチラシなどの紙に挟んで足で踏んで落ち付かせる。

これを50cmほどの麺棒に巻いて両手で引きつけたり、広げたりしながら延ばし最後は折りたたんで幅広に切り、出汁をとってたっぷりと作ったお汁で野菜と一緒に煮こむ。味付けは味噌と醤油。

野菜はもちろん菜園で採れた、大根、里芋、葱、人参。これにキノコと油揚げなどを加えて実だくさんの煮こみうどんである。
今度は早春。庭の隅にフキの薹が出てくると一番始めに採ったのは大体このお焼きにする。年寄りっ子だった私は、おばあさんの影響かセリとかフキなど香りのある物が子供の頃から好きだった。

おばあさんは86歳で亡くなったが、年を聞かれると
「明治元年の生まれでがす」と答えていた。
この「がす」という言いまわしは近所でもうちのおばあさんだけだったような気がする。おばあさんは小さい時、生まれた家が離散して遠い親類に預けられて育ったと聞いた。
文盲で、戦後すぐの頃、父が村会議員に立候補した時、一生懸命に仮名で父の名前を書く練習をしていたのを覚えている。

このお焼きは小麦粉に砂糖と味噌、フキの薹を刻んだのにジュウソウを少し入れ、それをを卵と牛乳でこねてフライパンで焼いているが、おばあさんの作ったのは固めにこねたのを「ほうろく」でやいていた。
これは今日の昼食。節分には昔は決まってけんちん汁と鰯の丸干しなどを作った。昨夜思いついてけんちん汁を作って見た。大根も里芋もたっぷり入れて。野菜が沢山入るとお汁に旨味が出る。沢山作ったのでお昼のご飯まで残った。この所煮豆にも凝っていて、この金時で今年になって4回も豆を煮ている。
そして右はサツマイモご飯。1cm角くらいに切ったサツマイモをご飯と一緒に炊いただけ。

二人だけの分量だと、米一合に小さな芋を一本ほど。これは鳴門金時とかいう美味しそうなサツマイモがあったので、テレビでやっていたのを思い出して作ってみた。クリご飯よりおいしいくらいの出来だった。沢庵の漬物もほうれん草のゴマ和えも、みんな野菜から自家製。(2月6日)
家の朝食は、大抵がご飯と味噌汁、納豆などと決まっている。味噌汁は実沢山で、冬はまず、大根、里芋、人参、葱、シイタケ、インゲン等の野菜は欠かさない。それに油揚げを入れているので、結構大きい汁椀に具が山盛りになる。出来るだけ野菜を沢山摂りたいと思っているので、こんな味噌汁が出来上がった。
納豆は大根下しや葱、花鰹など混ぜて、それにシラスとキュウリ、ワカメの酢のもの。これはここの所、テレビで見たので、サラダオイルを加えている。こうするとワカメやシラスが良く消化吸収されるのだとか。なんでも飽きるまで仕入れた知識を実行している。